危ない体験

2000年1月×日、雨季真っ只中の北カリフォルニア、ちょっと青空が見えたためにナパバレー空港へステーキを食べに出発(飛行機仲間で隣町へ飛行機でハンバーガーを食べに行くことを$100ハンバーガーという。たかが$1のハンバーガーに遊覧飛行の楽しみを兼ねて飛行機代やガソリン代で$100かけてわざわざ食べにでかけること。さしづめ今回は$200ステーキ)。
最初にソノマバレー空港(KSTS)へ行き休憩。ここでハンドヘルドのGPSの飛行軌跡記録機能をONに。
上記はここからホーム空港であるパロアルト(PAO)までの軌跡を示したもの。
ナパの街を上空から眺めた後、ナパバレー空港(KAPC)へ着陸し、昼食。
帰り道の雲行きが心配なため、早々に帰路につく。飛び立って、まだパロアルト方向は雲が高く飛べる状態と判断し、東のリバモアー空港(KLVK)経由で帰ろうと思うも、雲が低く、山の尾根まで垂れ下がっており超えられないと判断し、Uターン。
オークランド上空を超えていくのも断念し、結局サンフランシスコ市内上空を超えサンフランシスコ空港クラスBエアスペースを回避してハーフムーンビーチ方向、すなわち太平洋側から帰ることとする。
ハーフムーン空港(HAF)で着陸し陸路帰宅という手もまだあるが、なんとか尾根を超えてパロアルトまで行けると判断し、尾根超え。
3000フィートの1番低いところを地面すれすれで超えてみると、その先はくもが1500フィート以下まで降りており、直ぐに雲の中に。急降下しつつ雲を避けて北のサンフランシスコ空港方向へ。視界の効く範囲でなんとか南東のパロアルト方向への可能性を探る。このときには雲の中へ入ったり、一部下界が見えたりの状態で、パニック寸前状態。丘や鉄塔などへ激突せず、失速しないよう高度、姿勢など計器で十分注意しながら、こういう状態で空間失調症になったJFK Jrの心境に陥らないよう必死。
見なれた高速道路(101号線)が見えたと思ったら、左下にオラクル社の本社がビルが突如視界に。ということはサンカルロス空港(KSQL)の上空侵犯(管制塔の許可なく管制塔管制下である半径5マイル、高度2500フィート以下へ侵入すること)だな、と思いつつも高度、方向、姿勢の維持でそれどころではないという状態。
高速道路沿いに数マイル行き、そろそろというところで見えてはいないもののパロアルト空港管制官と交信開始。すぐに管制官からいまサンカルロス侵犯で苦情が来ている旨指摘される。
それよりこちらは生きて帰りたいんだ、ということでとにかく着陸許可を得て、正規の着陸パターンでなんとか着陸。このとき、有視界飛行の限界の視界3マイル以下、雲1000フィート以下という状態であった。
教訓;無茶はいけない。天候の変化に十分注意(30分で雲が急に発生)。予定変更で近場に着陸という勇気(ハーフムーン空港がチャンスだった)。
重要な教訓である「離陸は選択できるが、着陸は必須」、すなわち離陸するか否かは選択の余地があるが、離陸した飛行機は必ずどこかへ着陸しなければいけない、という言葉の意味を実感。
実は、しばらくの間、FAAから「免停」の通知か、始末書(レポート)提出指示がいつくるかと心配の日々でした。FAAは厳しいと聞いていたから。