ブルースカイ
いつの日からか、「米国に居たらさぞかしゴルフが上達したでしょうね」という不躾な日本からの訪問者の質問に「いやゴルフに対して興味を失いましたから」と答えるようになった。思えば5年前にペブルビーチで、屈辱的な記録を出してから、意欲を失ったのかもしれない。大体こちらがゴルフを好きかどうか以前にゴルフに好かれていない。今でも頻繁にグリーンに出るものの、ギャンブルの一環かハイキングと割り切っている。
この言い訳を正当化するためには、なるほどと思わせる趣味を持たなければいけない。というわけで、地上のグリーンを楽しむことに対して、空の青さを楽しむこととした。もともとオイルショックの余波で航空3社がパイロット採用を見送った年であっため折角潜り込んだ当時唯一のエアラインパイロットへの登竜門であった航空大学校を入学式だけで断念した(入学金払込前)という経歴を持っているため、空への想いは人一倍と自負をしている。という訳で98年夏にトレーニングを開始したが、業務が多忙という敵の他に、大きな問題が待ちうけていた。管制官(Airport Control Tower)の言っていることがほとんど理解できない。雑音やエンジン音のせいか、とばかり他人の4倍程度もの値段のノイズキャンセル機能付きヘッドセットを購入してみたが、全く本質で無いところに金を使ってしまったことにすぐに気が付かされた。教官達も「貴方は技術的には問題がないが、唯一の、かつ最大の問題は航空英語だ」と心配顔。もっとも語学に問題の無い米国人ですらこれは悩まされる問題らしい。なお、統計では米国で毎年6万人がパイロットを目指すが2/3の4万人は志半ばで断念するらしい。これは決して時間や金の問題だけでもあるまい、と自分を納得させる。
ともあれ、5種類の教材を買いこみ日夜鍛錬しなんとか克服したかと思っていると、次の問題が。例のJFK Jr.の事故である。何故貴方ばかりが安全でいられるのか、という親類縁者、興味本位の知り合い達の電話攻勢を乗り切ったところでようやく免許を手にすることができた。
これぞブルースカイ、というカリフォルニアの空をいつでも満喫でき、好きなところへ、いつでも(天候が許せば)行けるという自由は何物にも代え難い気がする。
日帰りでサンタバーバラへ日光浴、ヨセミテのハーフドームを上から、そして時間が無い時にはシリコンバレーやサンフランシスコの競争相手を視察。もっとも空を飛んでいる時には間違っても仕事のことは考えないものだが。
冬の間はさすがに雨季のため、離陸できる機会が減ってくる。一度強引に飛び立ってナパで昼食をとり、出発地であるパロアルトに戻ろうとしたら、それまでクリアだった視界が、突然涌き出てきた雲に遮られてしまった。若干大回りをしてハーフムーンベイから尾根を超えてサウスベイエリアへ戻ろうとしたのだが、35号線を越えたとたんに低く垂れ込めた雲に突入してしまった。有視界飛行の技術しかない人が純白のベールに飛び込んだ時というのは、雨の高速道路で隣のトラックが大きく跳ね上げた水飛沫の中に突入し、しばらく何も見えずに運転している状態を想像して頂ければと思う。ああ、こういう時にJFK Jr.が陥った空間失調症になるのだな、と思いながらも生きて帰るのだと自分に言い聞かせ、雲の切れ間を探して旋回、降下し、ふっと見ると雲が切れてオラクルのビル群が左すぐ下に見えた。いつもは何気なく見ているビル達が死の淵からの生還を歓迎してくれているよう。交信手順を無視したため、管制官からは怒られたが、そんなことはどうでもよい。統計によると、私のいつも乗っているセスナの死亡事故発生確率は20万飛行時間に1回で、大半が今回のような天候に関連した事故とのこと。趣味で乗っている人は年間150時間が精々なので1000年に1回遭遇か。それほど長生きする予定も無いので、もう今生では危ない目に会わないだろう。やはり空の散歩はブルースカイに限る。今日も恨みのぺブルビーチ7番ショートホールを眼下に見下ろしながら、「お陰で今こういう楽しい趣味が持てた」と独り言。